四半世紀以前になってしまったが、当社が中国浙江省紹興市に2002年に設立し、今日に至っている子会社の近況をご紹介したい。会社の立地は、上海から250㎞、杭州にある肖山空港からは70㎞程南になる、紹興市の中の諸曁(ショキ)市にある。この市は進出当時の人口100万人、市の中心部は30万人ほどの町だった。私どもが在籍する福井県の越前地域とほぼ同じ面積、中心部の人口も福井市と似通った多さだった。
しかし、その後の発展は目覚ましく、現在は中心の市域だけで100万人の町となっている。2005年に市の開発区に工場を移転したが、建物も少ない農地だったところも工場やマンションが立ち並ぶようになった。私が知っているだけで、5ツ星のホテルだけで市内に4か所ある。進出当時は日系の会社も3∼4社あったが、その後の交流もないため、数も減り地元で日本人に会うことは無くなっている。

今回の出張では、毎年5月に実施している社員の慰安を兼ねた日帰りの小旅行に参加することとなった。この催しは設立以来毎年行っているが、私が参加したのは今回が初めである。参加者は現在の社員数220名のうち150名強が参加した。大型バス3台での、浙江省内の天台県への訪問だった。朝6時半出発、高速道を使い2時間半を掛けて目的地に着いた。そこには日本にも伝わった天台宗の本山、天台寺がある。実はこの天台県だが、中国の子会社が出来る前の2001年に外注先を探してこの地に訪れたことがある。

その時は荒涼とした雰囲気があり、高速も無いなかで長時間かけての車の移動、地の果てに来たとの印象が残っている。この地は蛇料理が名物となっていて、生産を依頼する会社の責任者からお昼の食事にと、とても得意ではないが蛇が出された。予定にはなかったが、日本人が来るのは珍しい、是非、地元政府の役人が夜をご馳走したいことで、夕食にも蛇料理が出てきて強烈な印象を残した。
今回の慰安旅行では、朝9時半過ぎに到着、お寺ではなく写真にある天台大瀑布という高低差200m以上もある滝のところに着いた。全員での集合写真の後、そこから滝の源流の山頂までひたすら滝の脇にある階段を登るということだったが、踏破したのは数名で、ほとんどが途中で諦めて戻ることとなった。私も三分の二弱登った所で諦めた。あまりにも壮大な景色で、人工で造られたものかと思ったが、唐の時代の詩人の李白がこの滝を詠んだ詩が残っていて昔から有名だったようだ。
午後は、市内の中華レストランで食事(さすがに蛇は出されなかった)の後、天台寺をお参りした。2001年に訪れた時は、ひなびたお寺との印象だったが、立派に再建されて訪れる人も多かった。みちのく平泉の中尊寺を訪れるような参道で、いくつかのお堂をお参りさせてもらった。
土曜日でもあり訪れる観光客は多かった。日本だったらスケールはメジャー級だが、外国人を見かけることは無く、全て中国人の観光客で、日本の観光地との違いを感じたのは私だけだったかも知れない。今回の旅行への参加だが、社員も楽しみ、会社への好感を持ってくれたと思っている。


今回の最後に、中国での会社での幹部食堂の料理を写真に撮ったので、それを紹介したい。普段、中国の子会社に滞在するときは、昼と夜は、会社の幹部食堂で食べている。賄いのおばさんは何度か変わったが、昨年夏から現在の方になったが、もともとレストランの料理人をしていたと聞いている。歴代の賄いのおばさんの料理は美味しかったが、今の方は特別美味しい。今回は特に写真映えも良く、毎回こんな贅沢をしているかと誤解されそうだが、小骨が多く食べにくい魚料理では、骨を取って出し、エビ料理でも皮を取って出すなど手を汚さなくて済む配慮をして貰っている。デザートに出す果物も日本ではとても値段の高い果物が出てきて、味も美味しくわざわざレストランに行かなくも十分満足でき、大変助かっている。
毎回、出張の折は現場を巡回し、ライン毎の日報をチェックするのを日課としている。その週の出勤状況、出来高を確認するのだが、今回驚いたことに、欠勤者が長欠の2名以外はその週、欠勤が無かった。昨年からだが退職者も少なく、稼働人員は安定している。中国の不景気のせいかも知れない。また、ホワイトカラー、ブルーカラーの色分けがあり、事務所のスタッフが現場の応援に行くこともなかったのが、忙しいときは応援に行くようになった。連帯感も高まったとの印象だった。日中関係で問題はあるが、この会社をこれからも、社員を守り、是非残していきたいと思った